2011年09月29日

神様ドォルズ 13話 隻・枸雅匡平

最終回!
なんもかも投げっ放しで終わってしまった・・・。
しかしこれが一番原作ファンに優しい終わり方であったと思う。
匡平さまの決断が少しでも見たい、阿幾の幸せをわずかでも見たい。
前回視聴後の願いは完全に叩き折られましたwww 
決断したのは阿幾で、チューで幸せな匡平という・・・真逆の結果に。
本当に次があるのかわかりませんが、原作を読んで待ってようと思います。

ところで、相変わらずの匡平さんぷりでした。
日々乃さんは俺のものだ!と寝言言ってるかと思えば、せっかくのチューも女子からさせるとか、とんだヘタレですよ。

阿幾に心の奥を指摘されて、家族や一族のことで個人的な問題であると匡平は突っぱねます。あっさり描かれてましたが、これ聞いたとき、なんだか薄ら寒い心地がして、とても嫌な気分になったので、何故か軽く考えてみました。

まず村の掟や風習に立ち向かうではなく、家族の問題として内内で片付けたいのかなと。きっとこれが村の対処方なのでしょう。阿幾のことが良い例です。「殺人者」としてでなく、クラミツハを持ち出した「盗っ人」として阿幾には追っ手がかかっていました。6年前に彼を座敷牢に閉じ込めた件も同様です。

「お前みたいに関係のない人たちを巻き込んで、なにもかも壊してしまいたいわけじゃない」
皮肉ですね。事件のとき自分は部外者でしかなかったと執拗に繰り返す匡平。あと一歩踏み込むことができなかった不甲斐ない自分への怒り、というよりも無力感というのか、或いは血生臭いことに関わらずにすんだという安堵か。

しかしあの場で殺された人たちは本当に「関係ない人たち」だったんでしょうか?
匡平は、阿幾を「村に関係ない先生を死に追いやった張本人」と見ている節があります。

枸雅の分家筋に入った婿と愛人に出来たのが阿幾です。
入り婿の立場を守るために父親はきっと阿幾を守ることはしなかったでしょう。阿幾は、クラミツハの隻に選ばれたことで、枸雅の血筋が証明され、なんとか村で生きていれたようなものです。そうやって彼を取り巻く環境を形作っていたのは、まさにあの場にいた村の人間、一人一人の持つ意識、習慣そのものではありませんか。

殺されて当然とは言いませんが、彼が受けていた理不尽な仕打ちを、匡平はどう思っていたのか。それがまったく見えてこないまま、目に見える刃を持った阿幾を責めるばかりの匡平が、とにかく気持ち悪い。外に出たことがないから気にならないのかとも思ったのですが、そもそも気にならないって描写すらありません。当然なこととして、前提から決めつけられていることが、気持ち悪いのだと思います。


このまま道を進むしかないと、呟く阿幾が切なかった。
「今さら立ち止まるなんてことが、許されると思うか?」
きっと彼は6年間、何百回何万回と考えたに違いない。告解とはちょっと違うかな。彼は自分の罪を赦して貰えるなんて思っていないだろうから。ふざけるなと、本音を突きつけても、匡平の言葉を引き出すことができなかった。そして、彼は諦めたのだと思う。匡平が持つ、日常の気配、人間らしい気持ち、全部を阿幾はあの瞬間諦めた。おはぎの話は過去との決別か。阿幾は退路を断ってしまった・・・。

まひるも阿幾も、村へ戻っていきます。
2期は村が舞台になるのでしょうか。
黒煙の中のアマテラス、目が光る匡平とククリ。
ド派手に映画化もいいかもなあ。夢は広がります。

2011年09月23日

神様ドォルズ 12話 暴走

不穏なタイトルですが、暴走するのは、まひるとの制御系統が分断されたマガツヒでした。
一難去ってまた一難な日々乃さん、ご苦労さまです。

ED後のCパートでは、墜落したはずのククリが復活。
あの不思議な起動音は、このシーンのためだったんですね!ふおおお!
後頭部をマガツヒにぶん殴られた匡平はまた昏倒状態?8年前を繰り返してしまうのか。それともタイトルどおり「隻」の役目をようやく自覚して覚醒か。アマテラスや村のことは放っておいて、最後は匡平を描くことに専念してきましたね。これは二期に期待が高まります!!

ずっと引っ掛かっているのは、「今のままが幸せなんじゃないか」って日々乃の台詞。
力の有無に関わらず普通に生活して、妹がいて笑ったり喜んだり、慎ましく過ごせる幸福。彼女の言うことはもっともで、それこそ否定するつもりはありません。小さい詩緒が悩んでいる姿や、人が死んだり怪我したりさせたり、誘拐されたり、拳銃とか、案山子の力使って喧嘩とか、現在進行形で目前で見ているからこそ出た言葉だと思ます。そんなこと進んで体験する必要はないもの。

「強すぎる力は人を不幸にする」って匡平の言葉を、まひるにぶつけた日々乃を見て、なんとなく答えが見えてきました。否定されたと逆上するまひるに、間違ってるとは言っていないと繰り返す日々乃。確かに否定はしていません。「そういうことじゃなくて・・・」と何度も言葉を探しています。まひるを否定することは詩緒たちを否定することにもなるからでしょう。そんな優しい日々乃ですが、ところで、彼女はいったいどれだけ村のことを理解しているのでしょう? ちゃんと村のこと受け止めてますか?ってことです。受け止められないが否定もしないでは、当事者の苦しみは消えない。このあたり、1クールでは掘り下げられなかったのかもしれませんが。(とはいえ、成り行きとはいえ議員を殺してしまった久羽子のこともありますし、二期の日々乃が楽しみ)

村の出身者と日々乃とには、根本的な考え方の違いがあります。
セキ同士が案山子で戦う。まひると詩音が案山子で戦うことを、靄子ですら止めませんでした。匡平にいたっては、詩緒を心配して日々乃の声すら届いていないようすでした。村の因習にどっぷりハマった者と、それを異常に感じる日々乃、というわかりやすい対比でした。

日々乃なりに匡平のことを心配しているし、彼に心が傾きつつあるのもわかる。でも匡平や詩音やまひるたちの根底にあるものを、普通に生活してきた愛されてきた人間には理解できないとつくづく感じた。そして、普通に幸せを感じることができる日々乃に、匡平が惹かれていくのが痛いほどよくわかった。異常な状況から逃げ出して、一時でもよいから自由でいたい。小さな、けれど強い匡平の願い。と同時に思い出すのは、河原で遊ぶノォノと阿幾の姿です。穏やかで、満ち足りた、でもどこか少し寂しげだったあのシーンに、儚い幸せを感じてしまう。


さて。
優柔不断のくせにキレると怖い匡平さまが、どこに着地するのか見届けよう。
なんというか、もう、ほんの僅かでもいいから、阿幾にも幸せを感じて欲しいです・・・。

2011年09月18日

神様ドォルズ 11話 囚われの日々乃

日々乃をどうこうすれば匡平が本気になってくれるかなと言ったのは阿幾でした。
お子ちゃまなまひるを使って、その代替としたわけですね。
まひるに踏みつけられながら機転を利かすあたりはさすが。

とはいえ、日々乃が大変な目に遭っているとき、こちらの囚われの人はずいぶん暇そうです。まひるは匡平に集中しすぎて、クラミツハの結界が疎かにならないかな。それも阿幾の計算の内か。それにしても阿幾は女難続きですね・・・。

下っ端臭プンプンな下山君について。
匡平と靄子と同級生でしたっけ。
阿幾が座敷牢に入っている6年間の、この三人組がどうしていたのか想像すると面白いです。

下山君が普通に阿幾の名前を出すのは不思議でしたが、匡平に対する態度には、劣等感からきていると思われる匡平への憎悪というのか、腹の底から煮えるようなドロっとした感情が垣間見えて、なんとなく納得でした。

匡平の、ぼっちゃんヅラ、簡単にセキを妹に譲って、それでも枸雅の人間として不自由なく中学高校と過ごして、阿幾のこともなかったことにして、卒業と同時に村を出たこと。ふざけるなと叫びたい気持ちでしょう。お気楽に逃げたつもりで、庇護されていることにも気づかず、地べた這い蹲って生きるしかない自分たちが馬鹿みたいだろうと、思って当然だと思う。そしてこれは、枸雅でも日向でもない普通の村人たちが、多かれ少なかれ考えていることだと思います。セキ、案山子という特別な力によって、村のありとあらゆるものを独占してきた(と思われる)二家、搾取される側の二家以外の人々。小さい村ですから、仮想敵というのはやはり必要になったでしょう。

そんなドロドロしている下山君を見ていると、阿幾の座敷牢時代も想像がつきます。
日向の地下牢で幽閉されていた桐生についていた無数の古傷。それが、阿幾にはありません。6年前、彼が殺したのは(事件の場所が枸雅家側だったことから、)枸雅の本家あるいは仕えていた普通の人々であったと思われます。力を封印された阿幾を見張っていた人たちの中には、彼に家族を殺されたものも多くいたはずです。目に見える場所に暴力の跡がない阿幾。女教師に浮足立った若い青年たち。血が濃くなりすぎないよう、狭い村ほど性に対する規律は厳しいはずですから、答えなんてあっという間に出たはずです。


気を抜くと匡阿で悶々してしまって、お天道様に顔向けできません!
想像の中で阿幾に部外者って痛いとこ突かれて、怒鳴り返すとか!
それもしかしてカムノチの共鳴ですか!
お互い思っていないと共鳴なんてしないよね!
とか、とか、もうもうそんなことばっか考えて滾るううう!

2011年09月09日

神様ドォルズ 10話 美姫、繚乱

とんでもない女王様でてきたー!
と思ったら、匡平LOVEすぎて、お 前 も か!!
愛が重い。

8年前、阿幾と匡平とまひるが出会った案山子。
セキは存在せず、人間の心を食べて動いているのだろうと阿幾は判断していました。炭鉱後のような地下に埋まっていた巨大案山子に襲われ、応戦する三人ですが、まったくが歯が立たない。絶体絶命というところで、匡平は記憶を失くしています。もっとも、匡平に抱えられながら泣き叫んでいたまひるは、彼がキレたあとのことも覚えているようで、匡平がククリの左手を開けたから自分たちは助かったといいます。

ククリの左手の件は、靄子も言ってましたね。
大人たちが駆け付けたときに巨大案山子が停止していたのだとすれば、大人たちは匡平の力を目で見たわけではないということになります。吹っ飛ばされ陥没した地面、焼き払われた木々、案山子の状態、現場の状況を見て想像したのでしょう。阿幾の言う「匡平の力」を、なぜ大人たちは知らないのか、ずっと不思議だったのですが、こういうことだったんですね。

さて、この巨大案山子はアマテラスなのでしょうか?
崖崩れだか工事現場だかで見つかったと、日向の主が隠している案山子。いくらまひるが現場にいたからといって、巨大案山子が日向の手に渡るのは不自然な感じもします。まひるを見つけた匡平たちの会話から察するに、あの現場は枸雅の敷地内だと思われますし。

ここで新しい人物を登場させるあたり、スタッフの自信を感じますね。
あと数話、どれくらいまとめてくれるのか楽しみです。


注意!!
以下BL的萌え考察(という名の妄想)
長いので閉じときます。

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2011年08月19日

神様ドォルズ 7話 追憶の肖像

最近OPが阿幾と匡平のことのように聞こえて困る。
はて主導権はどっちが握ってる?

今回ようやく二人になにが起こったのか、阿幾が牢に閉じ込められた理由が明かされました。ただ肝心の匡平が村を出た理由はまだわからないままです。

恰好つけの匡平のことですから、日々乃さんへ語る中に自身の感情を挟まなかったせいもあるかもしれませんが、この事件のときの彼はほぼ空気です。空回りするだけの完全な部外者でした。阿幾が先生を殺したのではないとすでに知っていることからも、この事件をきっかけに村を出たとは思えません。村の因習を嫌って出て行ったとも考えられますが、それだと修理のためとはいえ、あっさり帰郷したことが不自然です。

阿幾に殴り掛かったことや、自ら拳を潰しかけたことから想像するに、匡平の中には激情が隠されています。その大きさ、暗闇を、自分の持つ力を、匡平は恐れているのかもしれません。阿幾が匡平にこだわる理由と、匡平が村を出た理由は、そこにある気がします。

セキではない阿幾がクラミツハを動かせたのは、匡平がククリを動かせるというフラグでしょうか?
村で疎外されていた阿幾と、なぜ匡平は普通に接することができたのでしょう。
いやー燃える萌える。
  
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